子育ての最終ミッションー無事とはいかずとも生き延びた話-6-

術後9日目にして、一般病棟に移りました。循環器系の病棟です。

4人部屋で、手術前に入院していた腎の病棟に比べると新しくてきれいです。

ちなみに、ここの部屋から差額ベット代がかかります。今までのICUは治療に必要ということで、ベット代はなしでした。

 

もう自分でトイレに行けますし、食事もできます。

しかし、何をするにも億劫でだるいので、リハビリの時間以外はベットでじっとしている生活をしていましたが、さすがにまずいということで、起きている時間はできるだけ体を起こしている。という目標を立てました。

 

リハビリの先生から、ディルーム(入院患者がお茶したり、見舞いの人とベットサイドでできないような話をする部屋)まで歩いて良いと許可をもらうと、歩いて行っては椅子に座ってマンガを読んで過ごしました。

 

このころになると、自分が病院内でちょっとした有名人になっていることに気が付きました。

担当になった看護師さんは、大変でしたねと言ってくれますし、腎病棟の看護師長さんは循環器系の病棟まで見舞いに来てくれました。

本当なら、週1回の教授回診でしか会えない教授先生も頻繁に様子を見に来てくれました。循環器と腎の両方の執刀医の先生も、毎日来てくれました。

聞けば、腎ドナーから即大動脈解離となってしまった例は、私が初めてで、それも無事に回復しているということで、病院全体でねぎらってくれているように感じました。

 

そうこうしているうちに、レシピエントの息子は退院していきました。術後17日ほどで、私の提供した腎臓がよかったらしく、数値も非常に良いということでした。

喜ばしいことなのですが、自分が退院できないことにちょっと焦る気持ちもありました。

 

入院から4週間、術後3週間ちょっとの日にちを指定して、腎臓の執刀医の先生から話があるので妻も同席してほしいと言われました。その前日ぐらいには、最後の点滴の抗生剤も終了して、あとは飲み薬になったので、やっと退院かと期待しました。

 

当日、いつもの教授先生よりさらに上の先生がいて、

「大動脈解離のリスクを予見できずに、腎移植の手術がトリガーになって解離が発生してしまったことは誠に申し訳ない」と頭を下げられました。

その件に関しては、私も手術前に医療過誤という言葉が浮かんだことはありましたが、ここでそれを言い出しても、執刀医の先生のモチベーションを下げるだけで、それは自分の命にかかわるので、その時は持ち出さないことにしました。

 

また、術後に落ち着いて考えれば、大動脈を直接目視したり、触診したり、サンプルを採取したりしなければ、レントゲンやCT、超音波などを駆使したとしても動脈解離のリスクを予見することは、現代医学でも無理なのだろうなと思います。

それよりも、病院内で発症したことで、すぐに執刀医の先生や麻酔医の先生を集めて緊急手術してもらえたことで、命をつないでもらえたと感謝すべきところです。

また、腎移植後出血もなく普通に退院していたら、大動脈に高いリスクを抱えたまま普通の生活をしていたので、それも怖いことだと思います。

 

執刀医の先生からは、残った1個の腎臓に大動脈解離が影響していないのは運がよかった。影響していたら、人工透析になるところだった。と言われました。

そのあと、翌日退院してもいいと言われ、4週間にわたる入院生活を終えることができました。

 

無事に退院できたのは、執刀医の先生はじめ病院のスタッフの皆さんのおかげですが、自分でも特にICUにいた時に、負の感情をできるだけ持たない。ポジティブに考えることを心掛けて、ストレスを抱えないことでほんの少しでも回復の後押しをしようとしていました。

 

こうして、子育ての最終ミッションー息子を人工透析から解放するーは完了し、自分も何とか「令和」を迎えられます。