子育ての最終ミッションー無事とはいかずとも生き延びた話-5-

腎移植ドナーのつもりで入院し、術後1週間程度で退院できる予定だった私は、思わぬ大動脈解離ということになってしまい、長い集中治療室暮らしを余儀なくされてしまいました。

 

集中治療室は、病院によっても違うと思いますが、8畳相当の広さがあるでしょうか?ベットに寝ているだけだったので、よくわかりません。

真ん中にポツンと1台のベットがあり、頭側にいろいろモニタリングのための機器があって、天井にはカメラもあって常に見守られている感じです。

患者一人に看護師さん一人が24時間ついていてくれます。まあ、休憩時間などは、やりくりしている感じでしたが、

最初は喉にチューブが入っているので、会話も飲食もできません。意思の疎通は手ぶり身振りと、文字盤やホワイトボードに書くことで何とかするしかありません。しかし、ホワイトボードに書いてみて思うように手が動かせないことにがっくりしました。

水が飲めないので、看護師さんに喉の痰を吸引してもらって、ついでに水を含んだスポンジで口の中をぬぐってもらうのが唯一の楽しみでした。

 

それで、4年前ちょうど今頃の季節、父親の看取りをした時のことを思い出しました。

父も体中チューブや点滴の針を付けて、口の中をぬぐってもらっていました。

それでも、父は日ごとに弱ってチューブや点滴が増えていったのに、私はだんだん減っていくので、大丈夫だろうと思うことにしました。

 

3日目ぐらいに看護師長さんが古いラジカセを持ってきてくれて、それから毎日ニッポン放送を聞いて過ごしました。

食事は鼻のチューブから胃に直接ペースト状の何かを入れてもらいました。排泄はおしっこは管でタンクに送られて、大のほうは食事が始まるまで何も出ませんでした。

2日に1度くらい、ベット上で体を洗ってもらいました。洗髪と下半身はお湯で洗ってもらい、そのほかは暖かいタオルできれいに拭いてもらいました。

 

自分ではわからなかったのですが、手術の内容から言ってすごく順調だと言われ、そろそろリハビリを始めましょうと言われました。

最初はベットサイドに足を下ろしてベットに座るだけです。看護師さんが背もたれを支えてくれているのですが、腹筋背筋が弱っているので上半身を支えることが難しく、15分間耐えるのがやっとでした。

2日ぐらいそれをやって、次は立ってみましょうということになり、リハビリの先生と看護師さんに両側から支えられ、床に足を置いたところ、足が砂の彫刻でできてたかのようにグズグズと崩れていくような感覚でしたが、何とか立つことができました。

 

ICU5日目で、とうとう喉のチューブを抜いてもらいました。やっと飲めた水は信じられないくらいおいしかったです。

声も出せるようになりましたが、かすれた小さな声しか出ませんでした。

 

翌日には鼻のチューブも抜いてもらい、食事が出るようになりました。でも最初は流動食で飲むヨーグルトやレモンティーが出ただけでした。

 

8日目にHICUという、病室に移ることになりました。そこは4人部屋で看護レベルがICUほどではないけれど、まだ一般病棟には行けない患者の部屋という感じでした。

そこで、おしっこを採っていた管を抜いてもらいトイレに行けるようになりました。

また、10日間もヒゲをそっていないので、病院内の理容室に行きたいと、看護師さんに相談したところ、病院の理容室は閉店してしていましたが、代わりに、髭剃りになれた看護師さんを呼んできてくれて、きれいに剃ってもらいました。

 

せっかく、HICUに移ったのですが一晩寝ただけで、翌日には循環器系の一般病棟に移りました。

 

続く