子育ての最終ミッションー無事とはいかずとも生き延びた話-1-

いろいろありましたが、間もなく平成が終わって令和が始まります。

 

私にとって、平成は子育ての時代でした。

長女が平成2年生まれ、長男が平成4年生まれで、平成時代全部使って何とか一人前にしたというところです。

平成30年、娘が27歳で孫もできまして、息子は独身ながら25歳、家を出てアパート暮らしを始めて、あとは夫婦でのんびり余生を楽しもうと思っていた矢先のことでした。

息子が週末に実家に帰って来て言うことには、まったく食欲がない、特に油っ気のあるものは食べられない、とのことです。

土曜日に近所の胃腸科の医院を受診して、血液検査などしてもらったのが6月の最終週のことでした。

その翌々日の月曜日、胃腸科医院から電話があって、すぐ再受診しに来てくださいと言われました。息子は東京で勤務中なので今日受診するのは無理と伝えつつ、息子と連絡を取って、今日中に実家に帰り翌日再受診するように話をまとめます。

そして翌日、胃腸科の先生の言うことには、血液検査の数値がひどい!紹介状を書くからすぐ大きな病院に行きなさいと言われ、そのまま地域でも大きな総合病院に行ったところ、診断は「腎不全」即入院、即人工透析となってしまいました。

 

それからは、息子は転職したばかりの会社を退職し、借りたばかりのアパート解約し、透析の必要があるということで身障者手帳を交付してもらい、本人は入院していましたので私と妻が手続等に走り回っていましたが、そんな中で担当医の先生から、生体腎移植の話を聞きました。

2個づつある腎臓のうち1個を提供するというもので、二人で腎臓1個づつでも普通に生活する分には問題ないそうです。

腎移植がうまくいけば、人工透析はなくなる。

薬は飲み続けるものの、健康な一般人と変わらない生活ができる。

腎臓を提供するドナーもリスクは少ない。

 

その頃、息子は退院したものの週3回、約4時間の透析に通うようになっていました。

この状態では再就職など望めません。

私は腎臓を提供することにして、これを子育ての集大成とすることにしました。

 

続く